大前研一「ニュースの視点」Blog

〔大前研一「ニュースの視点」〕#140 《教育基本法》ゼロからのフレームワーク作りで日本は変わる

2006年11月24日

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教育基本法改正案
今国会中に「最大のヤマ場」
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●タウンミーティング問題と法改正は本質的に別問題


03年から今年にかけて8回開かれた、政府主催の
教育改革タウンミーティングにおける「やらせ質問」が
判明した問題をうけて、教育基本法の改正案の成立に
野党からの反発が強くなっているとのこと。


私に言わせれば、タウンミーティングのやらせを
今さら取り上げるのはナンセンスですし、
それと教育基本法の改正を絡めて議論しようとするのも、
さらにナンセンスなことだと言わざるを得ません。


まず、タウンミーティングにおける「やらせ質問」について
ですが、そもそも政府主導・役人によるミーティングと
いうのは、多かれ少なかれ、「やらせ」に近いものだと
いっても過言ではないでしょう。


役人の染色体というのは、自分たちのやりたいことを
ミーティングで確認することが染み付いているのです。


そのために必要な人に出席をしてもらい、必要な質問を
してもらい、そして確認作業をこなしていくという
手順を踏むわけで、出席者の意見を聞こうとは最初から
役人の頭にはないと私は思います。


だから、そんなことに、今さら驚く必要もなければ、
取り立てて騒ぐ必要もないでしょう。


そして、教育基本法の改正について、
役人の問題を関連させて議論するのは大きな間違いだと
思います。


なぜなら、法律を作るのは、本来役人の仕事ではなく、
立法府である国会議員だからです。
 つまり、本来法律を作る作業に役人は関係ないのです。


しかし、実際には立法府である国会議員は法律を作った経験が
なく、本来執行する立場の行政府だけが法律を作った経験が
あるというのが日本の実情です。


さらに悪いことに、日本の場合には新しい法律を作っても、
古い法律が失効するわけではないので、新しい法律を作って
提案するときには、常に古くからある法律に抵触しないか
どうかをチェックする必要がでてきます。


関連する可能性があれば、戦前に制定されたような
古い法律も全てチェックしていくという複雑かつ
面倒な作業は、国会議員には到底できないでしょう。


国会議員でなくても、私にもそんなことはできません。
そんな作業ができるのは、実質的に日本では内閣法制局
くらいしかないだろうと私は思います。


私も、かつて83の法案を提案した経験がありますが、
やはり内閣法制局から古い法律への抵触などを指摘されて
辟易してしまった経験があります。


●コンセプト力、フレームワーク力が何よりも必要とされる


教育基本法の前に、その土台となるべき憲法の改正や
道州制の導入などを議論すべきではないかという
意見を伺うことがあります。


これは、まさに正論なのですが、今の日本の現状を鑑みると
絶望的といえるでしょう。


なぜなら、日本の学者には、憲法改正案や道州制の
根本となるべきフレームワークを作り上げる力が
ないからです。
           
日本の学者は、優れた"解釈学者"です。
「アメリカの憲法の●●は・・・」というような
外国の事情などはよく知っています。そういう意味での
各国の制度を比較した研究論文も書けるでしょう。


しかし、そのような「他人が作ったものの解釈」ではなく、
「自ら白い紙の上に絵を描く」ことは全くできません。
コンセプトを決めるとか、フレームワークを作り上げる
ということができないのです。


例えば、それは憲法9条という小さな枠組みの中であれば、
合憲か違憲かという活発な意見が出てきます。


しかし、「じゃあ、憲法とは、そもそもどういう項目が
必要なのか?」という根本的なことをゼロから考えたことが
あるか?となると途端に疑問符が頭に浮かんでしまう
学者が多いでしょう。


実際に日本の法律の多くは、諸外国のコンセプトを模倣して
 います。


 今の日本国憲法で言えば、 特にトーマス・ジェファーソンの
 アメリカ憲法の影響を受けたコンセプトになっています。
 だから、個人の基本的人権が最重要コンセプトになっていて、
 「国と個人」の関係に突出したものになってしまっています。


逆に、今の日本の現状からすると定義しておくべき
 「個人と市町村」「個人と都道府県」「家族と個人」の
 関係については、明記していません。


さらに、日本という国が世界の国々とどのような関係を
 築こうとしているのかという最も重要なコンセプトも
 欠落しています。


 憲法の前文にその「想い」だけは抽象的に書かれていますが、
 経済大国となった今、日本という国が「積極的に」
 どのような先進国としての役割を果たしていくのか
 ということは、「具体的に」定義されていません。


教育について考えるときも、実は同じことが言えるでしょう。


 教育基本法の字面を変えようとするのではなく、
 家庭における教育、コミュニティにおける教育、
 道州における教育など、それぞれの教育のフレームワークを
 作り上げることが重要なことだと思います。


そういう意味では、今の学者にフレームワークを作る力がない
 のならば、極端な意見かも知れませんが、国民1人1人に
 憲法のフレームワークを作らせて見て、それを合成した
 ところに活路を見出してもいいのではないかと私は思います。


 憲法にしろ、教育基本法にしろ、部分的な字面を変更する
 だけでは全く無駄な作業です。


 たとえこれまでの経験がなく、難しいことだとしても、
 フレームワークをゼロから作り上げるように、
 取り組んでいくべきではないでしょうか。


                       以上


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